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22世紀少年


    燃えよ,ファイヤープロレスリング! ~亡きヒューマン,そして増田雅人氏に捧ぐ男達のバラッド~

    燃えよ,ファイヤープロレスリング! ~亡きヒューマン,そして増田雅人氏に捧ぐ男達のバラッド~



     1989年6月22日,当時新進メーカーであったヒューマンから,世に一作のゲームが生まれ落ちた。その名は「ファイヤープロレスリング コンビネーションタッグ」
     それ以前のプロレスゲームにはなかった4人同時プレイ,斜めから見たリング,そしてなにより“相手と組んで腰を落とした瞬間にボタンを押す”という,シンプルゆえに熱く競い合えるゲーム性から,多くのゲームファン,プロレスファンを夢中にさせた伝説のタイトルだ。

    「ファイヤープロレスリング コンビネーションタッグ」
    すべての原点である初代ファイプロ。基本的なゲームシステムは,すべてこの時点で完成されている
    Fire Pro WrestlingFire Pro Wrestling
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     “ファイプロ”の愛称で人気を得たそのゲームは,続編ごとに新たなレスラー,新たなシステムを加え続け,ついには20タイトルを超える一大シリーズへと成長を遂げた。2005年に発売された「ファイプロ・リターンズ」以降は,現実のプロレス人気の低迷もあってかパッケージソフトとしての発売は途絶えているが,今もプロレス者の記憶に刻まれている名シリーズである。

    「ファイプロ・リターンズ」現時点でのパッケージ版最新作は2005年に発売されたPlayStation 2用の本作。システム的には完成されているが,さすがに10年も前の作品とあって,レスラーのデータは古い
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     そんなファイプロをこの世に生み出したクリエイター,増田雅人氏が昨年(2014年)3月29日に,48歳という若さで逝去した。それから1年以上が経過した先日,増田氏のことを「直系の師匠」と呼ぶグラスホッパー・マニファクチュアの須田剛一氏の呼びかけにより,ファイプロシリーズのクリエイター達……いわば,増田氏の弟子達が数年ぶりに再会。4Gamer編集部の会議室を舞台に,増田氏の功績,そしてファイプロの足跡を振り返ってもらった。
     なお,インタビュー中には実在のプロレス団体や選手名が登場するが,ファン語りということであえて敬称略とさせていただく。

    「スーパーファイヤープロレスリング スペシャル」
    初めてストーリーモードを搭載した「スペシャル」。現グラスホッパー・マニファクチュアの須田剛一氏の作家性が花開いた記念碑的作品でもある
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    「ファイヤープロレスリングG」PlayStationで発売された本作は,PSアーカイブスにて配信されており,現行ハードで購入できる唯一のファイプロとなっている
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    「ファイヤープロレスリング」シリーズ一覧

    発売日タイトル発売元プラットフォーム
    1989年6月22日ファイヤープロレスリング コンビネーションタッグヒューマンPCエンジン
    1991年8月30日ファイヤープロレスリング2nd BOUTヒューマンPCエンジン
    1991年12月20日スーパーファイヤープロレスリングヒューマンスーパーファミコン
    1992年3月27日サンダープロレスリング外伝ヒューマンメガドライブ
    1992年11月13日ファイヤープロレスリング3 Legend BoutヒューマンPCエンジン
    1992年12月25日スーパーファイヤープロレスリング2ヒューマンスーパーファミコン
    1993年12月29日スーパーファイヤープロレスリング3 Final Boutヒューマンスーパーファミコン
    1994年2月4日スーパーファイヤープロレスリング3~イージータイプ~ヒューマンスーパーファミコン
    1994年7月22日ファイプロ女子オールスタードリームスラムヒューマンスーパーファミコン
    1994年11月ブレイジングトルネードヒューマンアーケード
    1994年12月22日スーパーファイヤープロレスリング スペシャルヒューマンスーパーファミコン
    1995年2月3日ファイプロ女子 憧夢超女大戦 全女vsJWPヒューマンPCエンジン(アーケードカード)
    1995年6月30日スーパーファイヤープロレスリング クイーンズスペシャルヒューマンスーパーファミコン
    1995年8月25日ファイプロ外伝 ブレイジングトルネードヒューマンセガサターン
    1995年12月22日スーパーファイヤープロレスリングXヒューマンスーパーファミコン
    1996年3月15日ファイヤープロレスリング アイアンスラム'96ヒューマンPlayStation
    1996年3月29日スーパーファミヤープロレスリングXプレミアムヒューマンスーパーファミコン
    1996年12月27日ファイヤープロレスリングS シックスメン・スクランブルヒューマンセガサターン
    1999年6月24日ファイヤープロレスリングGヒューマンPlayStation
    2000年8月31日ファイヤープロレスリング for WonderSwan加賀テックワンダースワン
    2001年3月1日ファイヤープロレスリングDスパイクドリームキャスト
    2001年3月21日ファイヤープロレスリングAスパイクゲームボーイアドバンス
    2002年7月19日ファイナルファイヤープロレスリング~夢の団体運営!~スパイクゲームボーイアドバンス
    2003年6月5日ファイヤープロレスリングZスパイクPlayStation 2
    2005年9月15日ファイプロ・リターンズスパイクPlayStation 2
    2012年9月21日Fire Pro Wrestling日本マイクロソフトXbox 360




    歴代のファイプロ開発者が大集結

    まずはそれぞれのプロレス観を激語り


    4Gamer:
     本日はお忙しい中“ファイプロ同窓会”にお集まりいただき,ありがとうございます。
     さっそくですが,まずはみなさんのファイプロへの関わりをお聞かせください。それと,現在のプロレスとの距離感も。

    山﨑正通氏
    初期ファイプロではサウンド担当として参加し,若元一徹のテーマ曲などを作曲。一部レスラーのボイスにも山﨑氏の声が使われている。「スーパーファイヤープロレスリングX」ではディレクターを担当し,システムやグラフィックスの大幅アップデートを実施。ヒューマン倒産後は企画職に専念。現在はバンダイナムコエンターテインメントにて,業務用ゲームの企画・開発に携わっている
    山﨑正通氏(以下,山﨑氏):
     一番先輩の笹沢さんがまだ来てないけど,入社順でいこうか。僕はヒューマンが当時運営していたゲーム専門学校のヒューマン・クリエイティブ・スクール第一期生で,卒業後そのまま入社しました。関わったのは,PCエンジンの「ファイヤープロレスリング2nd BOUT」(以下,2nd BOUT)からPlayStationの「ファイヤープロレスリングG」(以下,ファイプロG)までです。
     最初はサウンド担当としてBGMやSEを制作していて,スーパーファミコン版では一部レスラーのボイスにも僕の声が使われています。「スーパーファイヤープロレスリングX」(以下,ファイプロX)ではディレクターを担当したのち,サウンドに戻り,「ファイヤープロレスリングS シックスメン・スクランブル」(以下,ファイプロS)とファイプロGではSE制作と,全体のアドバイザリーを行いました。
     プロレスは現役バリバリで見続けていて,一番追いかけてるのは鈴木みのる。今日もここに来る前に,原宿のパイルドライバー(鈴木みのるがオーナーを務めるアパレルショップ)に寄って,Tシャツ買ってきたよ(座談会が行われたのは,パイルドライバーの開店日)。

    岩下英幸氏
    ヒューマン・クリエイティブ・スクールに二期生として入学し,在学中にはファイプロのデバッグを受け持つ。ヒューマン入社後は増田氏の部下として「ブレイジングトルネード」の企画を担当。AKI(現・シンソフィア)に移籍後には「バーチャルプロレスリング」シリーズを手がける。ちなみに,岩下氏は関わっていないそうだが,ソーシャルゲーム「プロレスラーをつくろう!」はシンソフィアによる開発
    岩下英幸氏(以下,岩下氏):
     私も山﨑さんと同じく,ヒューマン・クリエイティブ・スクールの卒業生なんですが,山﨑さんの一つ下の二期生にあたります。そもそもファイプロが作りたくてスクールに入学したので,在学中に2nd Boutのデバッグができたのは嬉しかったですね。でも今思えば,学費を払ってデバッグをさせられていたという(笑)。
     ヒューマン入社後は,ファイプロ本編ではなく,「ファイプロ外伝 ブレイジングトルネード」(以下,ブレトル)の企画を担当しました。

    山﨑氏:
     ブレトルは僕も関わってます。岩下君と一緒に声の収録に行ったよね。あと,歌も録ったっけ。


    岩下氏:
     そうそう,エンディングでなぜか僕が歌を歌ってるんですよ(笑)。「誰も聴かないですよ!」って言ってるのに何度もリテイクを出されて。
     補足すると,当時のヒューマンは,すでに人気コンテンツだった「F-1」や「フォーメーションサッカー」のアーケード版を出していたので,ファイプロもそれにならって出そうということになったんです。ですが,ファイプロのレスラー名でアーケードをやるとなると,いろいろ危険な気配がしたので,オリジナルのレスラーを作り上げました。まぁ,市場にはあまり出回りませんでしたね。
     プロレスは今でも見ていて,勝ち負けを含めたプロレスという世界の構造が好きなんです。あえて好きなレスラーを挙げるなら,東 三四郎((※漫画「1・2の三四郎」シリーズの主人公)なんですよ! あの面白さと強さを超えるレスラーはいまだにいなくて,あわよくば「1・2の三四郎」のゲームが作れたらと思っています。最近のレスラーでは,スーパー・ササダンゴ・マシンにプロレス観を変えられましたね。

    田村季章氏
    PCエンジンの「ファイヤープロレスリング3 LegendBout」よりシリーズの開発に参加。グラフィックデザイナーとして手腕をふるい,氏の職人技によってドット絵で再現されたレスラーや技は数知れない。「ファイヤープロレスリングG」ではプロレス大河ロマンを体験できるシナリオモード「ファイティングロード」の執筆も担当。ヒューマン退職後は,ファイプロ開発者と共にゲーム開発ユニット“S-NEOチーム”を結成。プロレスゲームの開発に欠かせない存在となる。現在はゲームプランナーとして活躍中
    田村季章氏(以下,田村氏):
     グラフィックス担当として,PCエンジンの3作目「ファイヤープロレスリング3 LegendBout」(以下,LegendBout)でレスラーの顔を描いたのが最初の仕事でした。大人の事情でボツを食らいまして,涙ながらに描き直したのが思い出です。
     その後は,須田さんと「スーパーファイヤープロレスリング スペシャル」(以下,スペシャル)に参加。「スーパーファイヤープロレスリング クイーンズスペシャル」,ファイプロX,ファイプロSで技のグラフィックス監修をし,ファイプロGからは企画も手がけるようになりました。「ファイヤープロレスリングD」(以下,ファイプロD)と「ファイヤープロレスリングZ」(以下,ファイプロZ)では企画と技監修,「ファイプロ・リターンズ」(以下,リターンズ)で企画・ディレクション・技監修をしています。今日の参加者の中では,最も多くのシリーズ作に関わっています。
     好きなレスラーは獣神ライガーです。ライガー vs. 佐野直喜(現・巧真)がダブルKOをした試合(1990年1月に行われたIWGP Jr.戦)で衝撃を受けて以来プロレスの虜です。最近だと飯伏幸太がいいですね。リターンズの開発と彼のデビュー時期がほぼ同じなので研究のため試合を見にいったのですが,とにかく光っていたのが印象的でした。今では新日本のリングに上ってIWGPヘビーのベルトに挑戦しているってのは,感慨深いですね。長々とプロレス技のアニメーションを作ってきた身としては,あの技アニメを作っているだけで食っていけたら最高なんですけど(笑)。

    須田剛一氏
    1993年にヒューマン入社。「スーパーファイヤープロレスリングスペシャル」で披露した衝撃のシナリオは,今でも語りぐさとなっている。「トワイライトシンドローム」をディレクション後,1998年に独立してグラスホッパー・マニファクチュアを創立。独自の作風のタイトルを作り続けている。最近は,映画「劇場版プロレスキャノンボール2014」を見て,「プロレスっていいもんだな」と再確認したとか
    須田剛一氏(以下,須田氏):
     「スーパーファイヤープロレスリング3 Final Bout」(以下,Final Bout)で企画,スペシャルではディレクターとシナリオを担当しました。あとは「ファイプロ女子オールスタードリームスラム」(以下,ファイプロ女子)の監修を。
     (唐突に)実は僕,ヒューマンのゲーム名人になるはずだったんですよ。笹沢(茶々丸),浅古(大輔)に続く三代目として。ですが僕はどうにもゲームがヘタクソで。当時,スクウェアの時田貴司さん達と対外試合をしたんですが見事にボロ負けし,見事に名人の歴史を途絶えさせました。
     好きなレスラーはタイガーマスクや前田日明,天龍源一郎です。なんていうか価値観を変えてくれたレスラーが好きなんですよね。いろんなメディアで言ってるんですけど,その後はリングス解散がトラウマになってプロレスからは離れていたのですが,最近はちょっとカムバックしています。久々にTVで見た(2015年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会での)飯伏幸太と中邑真輔の試合は凄かったですね。

    田島弘喜氏
    大学卒業後にヒューマン入社。1年間の営業職を経て開発に異動し,以後はスパイク時代までのシリーズにディレクターやプロデューサーとして関わる。「全日本プロレス 王者の魂」「キングオブコロシアム」など,ヒューマンやスパイクがリリースした実名プロレスゲームのプロデュースも担当。現在は独立し,ゲーム開発会社ウィルビットの代表を務める
    田島弘喜氏(以下,田島氏):
     私はプロレスゲームを作りたくてヒューマンに入社したんですが,会社からは「もうプロレスゲームは作らない」って言われまして。でも,いざ入ってみたら須田さん達がスペシャルを作っていて。

    須田氏:
     FinalBoutは営業から「“最後”って付けると売れるからそうしろ」って言われたんだよ。初めての“これで最後詐欺”だったからね(笑)。

    田島氏:
     約1年間の営業職を経て開発に呼んでいただき,最初に作ったのがファイプロ女子。続いて,ファイプロXの企画のサポートを行いました。

    山﨑氏:
     ほとんど彼が全体の進行管理を行ってましたね。僕は好き勝手に「パラメーターとか設定をこんな感じでー」って言うだけ(笑)。

    須田氏:
     それができるのが,ディレクターの一番面白いところですからね(笑)。

    田島氏:
     いやいや,山﨑さんのおかげで内容はできていたので,私は手を動かすだけでしたから(笑)。あの頃は優秀なスタッフもたくさんいたので,そこでプロレスゲームの作り方を学びました。
     そのあとはファイプロS,ファイプロG,スパイクになってからはファイプロDといったタイトルには,何らかの形で関わってます。

    須田氏:
     「全日本プロレス 王者の魂」も作ってたよね。(ジャイアント)馬場さんと撮った記念写真を見せてもらってうらやましかった。

    山﨑氏:
     思い出した,馬場さんのお別れの会(1999年4月17日に日本武道館で開催)に一緒に行ったんだよね。

    田島氏:
     はい。その流れで,スパイク時代は「キングオブコロシアム」など実名もののプロデュースをやってました。
     大学入学後に行った武道館で,三沢が初めて鶴田に勝った試合を見た日からの全日派だったので,実際のレスラーの方々とのお付き合いは嬉しかったですね。
     レスラーの奥さんたちとも仲良くさせていただいて,越中詩郎選手の奥さんからWJを紹介してもらったんですけど,すぐに潰れちゃったりとか。三沢さんがお亡くなりになってからは,ぱったりとプロレスを見なくなってしまいました。

    (ここで遅れて笹沢茶々丸氏が到着)

    笹沢茶々丸氏
    ヒューマン名物広報としてその名を知る人は多いが,入社当初はファイプロのドット絵やパッケージアートを描いていた。以後は広報や関連会社の広告関連職として活躍。ヒューマンクラブやテレホン通信といったファン事業は氏の手によるものだ。ヒューマン退職後は,自らが代表を務めるドリームジャパンにて,芸能やサブカル番組制作などエンタメ業界のコンテンツ事業,ゲーム開発などを広く手がける
    笹沢茶々丸氏(以下,笹沢氏):
     いやー,遅れちゃったね。ええと,ファイプロとの関わり? 僕が開発に携わったのは,PCエンジンの「ファイヤープロレスリング コンビネーションタッグ」と2nd BOUTですね。ドット絵を打っていたのと,パッケージのイラストを描いてました。
    それ以後は広報・宣伝回りであったり,全女(全日本女子プロレス)さんとの窓口といった形で関ってました。すでに管理職になっていたので,PV制作だとかで,ふんわりとでしたが。

    山﨑氏:
     パッケージの仕込みとかをやられていましたよね。「スーパーファイヤープロレスリング」のパッケージがPBこと剛 竜馬だったって聞きましたけど。

    笹沢氏:
     それ,よく言われるんだけど違うんだよね。あれはモデルさん。2nd BOUTのパッケージの肉体がリッキー・フジなのはホント。当時はFMWと付き合いがあったからね。
     今のプロレスは見てないけど,1980年代の黄金時代を一番熱心に見てて,中でも長州 力が好きでしたね。その後は格闘技路線が好きになって前田日明に傾倒して。仲間内でリングを借りてやった草プロレスで骨折をして,会社に怒られたりしてました(笑)。

    山﨑氏:
     花見でキックミットを蹴ったりしてましたよね(笑)。


    あふれ出してくる記憶

    あの頃のヒューマン,そしてファイプロ


    4Gamer:
     皆さん,数年ぶりの再会とあってさっそく盛り上がっているところ恐縮ですが,次の質問にいかせていただきます。
     ヒューマンという会社やファイプロ開発者の皆さんが,当時,どんな雰囲気だったのか教えてください。

    山﨑氏:
     笹沢さんがいた時代と僕らが入社したあたりでも,雰囲気は違うんですよ。岩下君が入社したあたりでスーツ着用が義務化されて。部署分けも細かくなって,グラフィックス担当はひたすらグラフィックスを描くような体制になって。

    笹沢氏:
     会社の規模が大きくなるにつれ,縦割りになっていったんですよ。山﨑君が入社したころは会社全体で40~50人規模で,ざっくばらんに開発が行われていて。

    田村氏:
     確か,僕や岩下さんの世代で,全社員の40%が新入社員だったことがあります。

    岩下氏:
     ヒューマン・クリエイティブ・スクールって,卒業生のほとんどがヒューマンに入社する新人養成機関でしたからね。(漫画「タイガーマスク」の)虎の穴かってくらい。


    4Gamer:
     ファイプロチームという区切りではいかがでしょう? 例えば,チーム内でプロレス談義をしながら作っていたとか。

    須田氏:
     僕が入ったときはチームという区分けじゃなくて,プログラムやグラフィックスがセクション単位でゲームのパーツを作っていたんです。ですからディレクターは会社の入っていたビルのあっちこっちを駆けずり回りながら指示を出していました。

    山﨑氏:
     須田さんが辞めてからチーム制になったんですよ。

    田村氏:
     チームといっても,この場みたいに「プロレスが……大好きっ!」みたいな人間ばかりだったわけではないんです。逆に僕らのように分かっている人間が,しつこいくらいにレクチャーしていました。

    岩下氏:
     もはや洗脳に近かったよね(笑)。技監修といってレスラーの動きをチェックするにしても,個人の知識だけで監修していたから。

    4Gamer:
     今なら動画配信サービスなどで調べやすいですが,当時は記憶だけで監修していたんですか?

    岩下氏:
     一応資料として試合のビデオがあったので,それを擦り切れるまで見てたね。

    山﨑氏:
     「週刊ゴング」に掲載されている技の分解写真を頼りにしたりね(笑)。

    須田氏:
     ちょうど水道橋にプロレス専門のレンタルビデオ店・チャンピオンができたころで,よく借りに行ったよね。

    岩下氏:
     俺もやった! (当時ヒューマンのあった)吉祥寺周辺のレンタルビデオ屋も全部制覇したよ。

    田島氏:
     ある意味,歴代ディレクターの思い入れだけですよね。こちらが作った技リストや仕様をもとに,プログラマーやデザイナーが作業を進めていく。ファイプロの開発ラインはとくに新人社員の登竜門みたいになっていて,まずは勉強がてらファイプロでゲーム作りの基礎を覚えていくという。

    須田氏:
     それくらいがちょうど良かったのかもしれないですね。みんながイデオロギーを持ちすぎると,UWFみたく内部分裂を起こしてしまっていたかもしれない。

    田村氏:
     なのでプロレスが趣味とはいえないけど,ファイプロは愛しているというスタッフはけっこういた感じですね。とくにヒューマン・クリエイティブ・スクール卒の人間には。
     そういったスタッフ達がファイプロに少しずつ仕様を加えていって,例えばファイプロXのときにレスラーのグラフィックスを多関節のものに一新したり。

    田島氏:
     スペシャルまでは増田さんが作ったプログラムを流用していて,中身がよく分かっていなかったんですよね。

    4Gamer:
     ちなみに,最初期のファイプロはどんな具合に作られていたんですか?

    笹沢氏:
     開発の経緯とかは知らないんですよね。新人研修を終えたばかりの頃,僕がプロレス好きっていうのが知られていたこともあって,すんなりとファイプロの開発に関わることになっただけで。たぶんディスクシステムの「プロレス」(ヒューマンが開発を担当)が受けていたこともあって,ヒューマンの自社販売タイトル第1弾として「作れ」と社長が指示したんじゃないかと思うんですが。
     当時は全社員を合計しても20人程度で,そのうちファイプロに関わっているのは,ほぼ増田さんと僕の2人だけ。増田さんがプログラムを作っている横で,僕がリングやレスラーのグラフィックスを作っているような風景でした。そういえば,開発途中のファイプロって,リングを真横から見た形だったんですよ。

    4Gamer:
     ええっ,斜めからじゃなくて!? それは初耳です。

    笹沢氏:
     それが,当時の企画部長から「これじゃ今までのゲームと変わらない。もっと考えなさい」って言われて,増田さんと2人でうんうん唸ってひねり出したのが,斜めから見たリング。
     そうすることによってキャラクターグラフィックスの容量が足りなくなる危険があったんですけど,そこは増田さんが研究してうまいこと実現しました。何しろPCエンジン用の開発は初めてだったので,実験しながらベースを作っていましたね。



    “ファイプロの神”増田雅人氏の功績と,

    人物像を紐解く



    4Gamer:
     増田さんとのエピソードをもう少し聞かせてください。増田さんはヒューマン・クリエイティブ・スクールでは講師もされていたそうですが,当時の様子はいかがでしたか?

    岩下氏:
     僕はファイプロが好きでヒューマン・クリエイティブ・スクールを選んで入学したんですが,最初は増田先生がファイプロを作った人だと知らなくて。当時は今みたいに開発者が前に出る時代でもありませんでしたからね。
     学生の間でもファイプロは人気でしたから,「次はスーパーファミコンで出るらしいぞ」なんて噂話にもなって,それを耳にした増田先生に「俺が作ったんだよ」と言われてビックリして。発売日には思わずパッケージにサインをもらいましたよ(笑)。

    4Gamer:
     いい話です(笑)。

    岩下氏:
     不思議な雰囲気の先生でしたね。ほかに似た人を思いつかない独特な雰囲気の方で。授業はかなり実践的なものだったんですが,言い回しであったり,ちょっとした開発裏話みたいなのが「え? そこ笑いどころなんだ」みたく,みんながあっけにとられるような。具体的なエピソードまでは思い出せないんですけど。

    山﨑氏:
     そもそもヒューマン・クリエイティブ・スクールそのものがゲーム専門学校の先駆けで,当初は学校法人ですらなかったんですけど,ほかに選択肢もなくてね。授業はちゃんとやってくれましたけど,それ以外は細かなネタが大好きな,“オタク第一世代”とでも言うべき人でした。
     作業をしていたら後ろからドスの利いた声で「お見せしよう!」といってシャツのお腹をまくるんですよ。一文字隼人の初登場シーンのモノマネなんですけど,僕が「(仮面ライダー)2号ですね」って反応すると,満面の笑顔でサムズアップですよ。ヒーローものが好きなんですよね。
     スーパーファミコンの「ウルトラマン」をプレイして,「ジャミラを倒したクリア画面だけほかと違うだろ」って大喜びしていたのを思い出します。


    岩下氏:
     F1も好きでしたよね。1990年のセナとプロストがいきなり接触したシーンの実況をモノマネしたりね。

    須田氏:
     そういえば「TVチャンピオン」(テレビ東京で放映されていた知識や腕前を競う番組)に出ていましたよね。

    田島氏:
     (機動戦士ガンダムの)シャアの格好をしていたんでしたっけ?

    田村氏:
     いや,ギレン・ザビの演説を記憶だけで間違えずに行うという問題に挑戦していた記憶があります。確か僕らがS-NEOとして独立した頃だから,2003年ぐらいだと思います。みんなでその番組を録画したビデオテープを持ち寄って鑑賞会をしましたよ。

    田島氏:
     ヒューマンがなくなってからは,独立してご自身で会社を起こされたんですよね。その当時,ファイプロの監修をしていただくためによくお会いしていました。あくまで軽く見ていただいた程度ですけど,僕からしたら崇拝している方でしたので嬉しかったです。
     山﨑さんがお話していたような当時の話もたくさんしていただけたのは,幸せなことでしたね。

    須田氏:
     僕がヒューマンに入社したときには開発部長になられていて,雲の上の存在の方で。でもちょくちょく現場に顔を出してはジャンボ……じゃないや,「トミー・ボンバーのパラメーターどうなってるの?」って聞いてきたり。そこで「強くしてよ」って,ファイプロの生みの親から言われると断りきれませんでしたね(笑)。
     歴代ファイプロに関わる人間は,みんな可愛がってもらっていました。

    岩下氏:
     管理職に上がっても現場が好きだから見に来てましたね。そういえば,ブレトルを作るとき,増田さんからは「自由にやっていいよ」と言われて,左右2本のレバーでの操作を企画したんですよ。みんなが大反対をする中,増田さんだけは「面白いんじゃないの?」って言ってくれて。しかも増田さんはハードにも詳しいので,2本レバーで動く試作品をサクッと作ってくれたんです。「岩ちゃん,これでテストしてみなよ」って言われて感動しましたね。
     ……まあ,ゲームのほうは面白くならなくて増田さんには平謝りだったんですけど(苦笑)。

    4Gamer:
     ちょっと遊んでみたかったような気はします(笑)。
     ところで,一番年代の近い笹沢さんから見た,普段の増田さんはどんな方でした?

    笹沢氏:
     増田さんはねぇ……会社に来ない(笑)。

    (一同爆笑)

    笹沢氏:
     昔ながらのゲーム開発者みたく「仕事はするけど行きたいときに行く」というスタンスだったのかもしれませんけど,別に会社が緩かったわけではないので,厳罰をくらったりしていましたねぇ。幸い,スクールが始まってからはキチンと来るようになったようですけど。
     あとやっぱり想い出深いのは,「勉強です」っていって2人で早退してプロレス観戦に行ったことかな。ちょうど新生UWFが旗揚げした頃でよく見に行きましたね。

    山﨑氏:
     (ボソリと)そんな時期なのに,なんでホッケーマスクのデビル・パイレーツ1号,2号が入ってたんですかね。

    笹沢氏:
     なんでだろうね。今考えたらおかしいよね(笑)。

    4Gamer:
     以前,増田さんにうかがったところ,キャラクターグラフィックスを節約するためだったと聞いた記憶があります。

    須田氏:
     額のIとIIの部分しか違わないからだ(笑)。

    4Gamer:
     それにしても,ファイプロは登場するレスラーのネーミングが秀逸なんですよね。

    笹沢氏:
     そうそう。誰をどうしようみたいなモチーフは,僕も増田さんも当時はプロレスマニアだったので,自由にやらせてもらってましたね。初期のネーミングは僕と増田さんで手分けしてやりました。

    4Gamer:
     トミー・ボンバーのネーミングを超える完成度のネーミングは少ないですね。モデルのレスラーの名前とはほぼ被らないのに,イメージからも外れていないという。

    笹沢氏:
     トミー・ボンバーは増田さんの命名ですね。モチーフとなった人が海外修行をしていたときの愛称がトミーだったという情報があったんだっけかな。

    山﨑氏:
     僕も当時,増田さんに聞いたことがあるんですけど,巌流島だから(ビクトリー)武蔵だとかね。戦艦の名前が転じて,ファイター大和とかストロング信濃とか。いつの間にか戦艦シリーズに(笑)。

    須田氏:
     新規で出てくるレスラーは時代ごとのディレクターが考えてましたね。アイデアに煮詰まると,プロレス好きなスタッフに相談したり。

    山﨑氏:
     OLIVE JAPANは武将の名前をもじったりと,団体ごとに統一感を持たせるようにしたり。そういう機微があったんです。あとは,シリーズ途中で名前が変わっている選手がいたりね。

    田島氏:
     これも今だからいえるんですけど,弁理士がヒューマンにいて,その方に全部チェックしてもらっていたんですよ。そういうところでの影響はあったかもしれません。

    山﨑氏:
     武蔵の特徴的な顎が削られたりとかね(笑)。
     そういえば,スーパーファイプロの声ってヒューマンの社員だったんだけど,増田さんにはレフェリーと若元一徹を受け持ってもらったんですよ。

    須田氏:
     マジで!? 若元道場の「ダメだ!」って増田さんの声だったんだ!

    山﨑氏:
     そう(笑)。セリフの一覧は増田さんが考えていたんですが,新要素として道場を用意するにあたって,失敗したときの声を入れたいということで,「ダメだ!」が生まれたんです。
     でも増田さんの発音が悪くて,何度も録り直したのを覚えてます。

    岩下氏:
     増田さん自身が「ダメだ!」だったという(笑)。


    開発者自身が語る

    ファイプロシリーズの魅力


    4Gamer:
     楽しいエピソードが多すぎて,どこまで掲載していいのか不安になります(笑)。
     ところでファイプロに関わった皆さんからみて,このシリーズの魅力はどこにあるとお考えですか?

    山﨑氏:
     一番言いたいのは“2拍子のゲーム”というところですね。相手と組み合って,腰を落としたら技をかけるという,誰にでもひと言で説明できるルールなのが素晴らしい。

    岩下氏:
     ファイプロ以前からプロレスゲームはありましたが,どれも勝負論のゲームなんですよね。それに対してファイプロは,自分なりの試合が組み立てられた。しかも難しいコマンド操作じゃなくて,ボタンを押すタイミングで技が成立する。緊張するとタイミングが合わなくて技が失敗するという点でも非常に斬新で。しかも慣れてくると,ハンマースルーであったりのプロレスでは欠かせないムーブも使いこなせる。そこもプロレスをよく表現しているエポックメイキングな部分ですよね。

    須田氏:
     体力ゲージもない,連打が必要なゲームでもないというのは,確実にプロレスゲーム革命でしたよね。組んでからボタンを押すという感覚がどんどん研ぎ澄まされていくのは,ファイプロならでは。いまでも十分に活用できるシステムですし,プロレスという競技をきっちり再現できるものですよ。

    山﨑氏:
     対戦ゲームだったら狸寝入りは必要ないしね(笑)。

    岩下氏:
     十字キーをガチャガチャ動かして関節技を外すというのも,目からうろこでしたね。遊んでいて左手がしびれたのは初めての経験でした。今みたいに合議制でゲームを作っていく過程では,きっとあのシステムは採用されなかったでしょう。

    須田氏:
     パイオニアだったからこそ,操作やシステムでいろんな“遊びの発明”ができたんでしょうね。ですから,以後のファイプロでも,増田雅人という神様によって作られたシステムが,脈々と受け継がれていくことになった。

    田村氏:
     そうしたベースがありつつ,晩年に変わってきているのはエディットの充実やロジックの拡充ですよね。
     当初は自分の手で操作してナンボだったのが,自分の好きなレスラーをエディットして思い通りに動くことを楽しむようになったり。現実を再現するも良し,自分を再現するも良し。プロレスを知らない人に向けては,ファイプロGのときにエディットしたレスラーをガチで戦わせてランキングを決めるという遊びも用意しました。そうした拡がりも魅力です。


    岩下氏:
     あと欠かせないのは,ゴングが鳴ってすぐには大技がかからない点ね。PlayStationで人気のあったとあるゲームは,相手が試合開始直後からツームストンドライバーをかけてきたりするんですよ。ファイプロではそういうことはないし,「ここだ!」という勝負どころでキチンと大技が決まる。そのサジ加減が絶妙でした。

    4Gamer:
     そういうロジックは増田さんが考えていたんでしょうか?

    山﨑氏:
     そうですね。スペシャルまでは,半ばブラックボックス化されていて,細かな数値は増田さんしかいじれなかったんですよ。でも,僕や浅古さんの世代は直接話を聞けたので,のちにパラメーターを増やすことができたというわけです。

    4Gamer:
     なるほど……。

    須田氏:
     それにしても,現実のプロレスの多団体化に伴って,ファイプロというブランドも“団体化”していったんじゃないかと思うほどに,当時のプロレス界への影響力は大きかったですね。
     土曜の夕方は新日本の中継があるから,そのあとはファイプロの時間だといった具合に。

    岩下氏:
     須田さんらしい定義づけがきたぞ(笑)。

    4Gamer:
     まあ確かに今,現実のプロレスの第一線で活躍しているレスラーの中にも“ファイプロ育ち”を公言している方は多数います。「ファミリースタジアム」や「実況パワプルプロ野球」で野球を覚えた世代がいるように。

    田村氏:
     そういえばリターンズの発売前にDDTプロレスリングの高木三四郎,KUDO,飯伏幸太の3選手にプレイしてもらう機会があったんです。飯伏選手のプレイが,見事に本人そのままの動きなのを見て衝撃を受けましたね。あ,操作していたのは,僕がエディットした飯伏選手によく似たレスラーでしたが。

    田島氏:
     私もリターンズまでずっと関わっていたので,シミュレーターとしての精度の高さがあり,(プロレスの情景を)なんでも再現できるということが魅力だと思います。試合をちゃんと選手になりきって再現できるようにシステムを作っていったのは,自分の中でのファイプロの魅力です。

    笹沢氏:
     僕は初期に携わっていたソフトであって,まるまる一本を作り上げた初めてのゲーム。なのでプロレスゲームというよりも,そこへの思いのほうが強いですね。自分をゲーム業界の人間に育ててくれたタイトルですから。
     ゲームとしては,4人同時プレイができたのが大きな魅力だったんじゃないですかね。PCエンジンで出すからにはこれを活かしたものにしようということで,それだけは最初から決まっていました。


    受け継がれる増田氏の魂。

    ファイプロ魂は死なず!


    須田氏:
     これを期にファイプロが復活できればいいんですけどね。ここにいるメンバーで作れちゃう。

    岩下氏:
     作れちゃうんだけど,きっとそれは幻(笑)。

    須田氏:
     旗揚げ当初のZERO-ONE(故・橋本真也が立ち上げたびっくり箱のようなプロレス団体)みたいに“スゴイことが起こるぞ!”と期待させて,結局とくに何も起こらない。

    田村氏:
     企画レベルでは何度か新作を作ろうという動きはあったんです。残念ながら,実現にはいたっていませんが。

    須田氏:
     でも最近,「ファイプロ作らないんですか?」って言われることが増えているんですよ。大手メーカーの幹部にも,「俺はファイプロのエディットで育ったみたいなもの」と言って憚らない人もいますから,なんとか実現にもっていければ……。

    山﨑氏:
     まぁそうは言っても,つまるところ,お米がね,ウン。

    (一同笑い)


    4Gamer:
     大人の事情はともかく(笑),僕らファイプロファンは「新作出ないかなー,出ないかなー」と毎年のように言ってるわけですが。世間の一部では最近,“プロレスが来てる”というムードになりつつあります。それが追い風となって,いつか新作が出てくれることを期待しております。
     さて最後に,今回お集まりいただいた皆さんが増田さんから学んだことで,とくに大きかったものが何かを教えてください。

    笹沢氏:
     ゴメンナサイだけど……ないよね。増田さんにって言われるとないんだけど,ファイプロは初めて1から作ったゲームだから思い入れはあるし,ものづくりの楽しさは教わりました。けど,それを増田さんから教わったかというとまた違うのかも。反面教師的なことでいうと,ちゃんと会社来ようと(笑)。
     山﨑が言っていたように,オタクでユニークな方でしたというフォローは入れておきます。

    山﨑氏:
     最後にそれですか(笑)。オタク的な知識に関連するんですけど,ファイプロのレスラー名のひねり方は増田さんから受け継いだものですね。自分の知識やネタから引っ張りだして決めるという。素人がパッと思いつくようなものじゃなくて,センスによって左右されますよという“トンチのきかせ方”。
     ヒューマン・クリエイティブ・スクールの先生としての増田さんからは,プログラムを少し教わりましたが,僕の職能的にはほぼ役に立っていません!(笑)

    岩下氏:
     私にとっての増田さんは,スクールの先生であって直接の上司。かつて「どうやってファイプロのシステムを思いついたんですか?」とか,「現実にあるものをどう面白くゲームに落としこんでいくんですか?」といった,企画の考え方のようなことを,よく質問していました。
     その後,私は現在の会社に移るんですけど,それからはずっと企画職一筋なんですよね。そう考えると,唯一“師匠”と呼べるのが増田さんなのかもしれないですね。

    田村氏:
     僕自身ファイプロを作りたいという動機だけで一点突破でヒューマンに入社しました。直接の教えを受けたことはなく,亡くなられたと聞いたときは,「なんでもっとファイプロの話をしなかったんだろう」と後悔しました。ですけど,そのためにゲーム業界に入り,たくさんのファイプロを作らせていただいたということを考えると,僕の人生を変えてしまった方。大きな大きな,恩人であると思っています。

    須田氏:
     僕も現場ではご一緒しておらず,時折パラメーターに口を挟んでくるくらいだったんですけど,ファイプロの歴史を遡ると増田さんは,カール・ゴッチよろしく神様なんですよね。何も教えてはもらってないけど,そこにいてくれただけで意味がある。
     一番よく覚えているのはFinal Boutを作り終えたあとの面談で,増田さんが「須田君,次(スペシャル)はもっと自由に作っていいよ」と言ってくれたことです。生みの親である増田さんがそう後押しをしてくださったのだから,ファイプロを預かる身としては「よし,やるぞ!」となった。そこから僕のクリエイティブが変わったんです。そのクリエイティブな気持ちは自分の会社を作った今も持ち続けています。あのとき,あの日,社内の会議室でくったくなく笑っていた増田さんの顔が今でも脳裏に焼き付いてますね。僕の背中を押してくださった方です。

    田島氏:
     私は今日のメンバーの中で一番後輩なので,ますます増田さんとの接点は薄いんですが,ファイプロの攻略本に掲載されている増田さんを見て,ヒューマン在籍中は1ファンのような気持ちで接していました。学生の頃からプロレスが好き,ゲームが好きだったからこその出会いだったのかと。
     近年にお会いしたときにはファミリーコンピュータの「プロレス」を作っていた頃からの様子を聞いたんですが,今みたく分業制ではなく「企画職とか言ってないで,関わるスタッフがゲームの中身を考えればいいんだよ」と言っていたのと,子供みたいに無邪気に楽しむ姿勢だったのが印象的でしたね。

    岩下氏:
     ……思い出した! 増田さん,マスターアップの日に来なかったことがあったそうですよ。ほかは新人ばかりでどうやってマスターアップをしたらいいかわからずパニックになったらしいんだよなぁ。

    (一同爆笑)

    笹沢氏:
     ほら,やっぱり「ダメだ!」だよ(笑)。

    田村氏:
     みんなそうやって増田さんに鍛えられたおかげで,今でもこうして生き残ってるってことですね(笑)。

    4Gamer:
     何となく綺麗にまとまったような気がしているうちに……本日はどうもありがとうございました!

    すわ新団体旗揚げか,と思わんばかりの集合写真に収まった元ファイプロ開発者たち。ひとたびプロレスに染まった者の体からは,どうやったってプロレスがにじみ出るのである

     この記事の最後に,2003年に「ハイパープレイステーション2」で筆者が担当した増田雅人氏のインタビューを再掲載して,本記事のまとめとさせていただく。
     2014年3月に48歳という若さで天に召された増田氏だが,ファイプロ開発時は今ほどゲームクリエイターがゲームファンの目に触れることは少なく,増田氏はまさに知る人ぞ知る存在であった。そんな“ファイプロの父”のプロレス観とゲーム観が語られた記事を,追悼の意を込めつつ紹介したい。なお,記事の再掲載にご協力いただいた関係者の皆様に,この場を借りて感謝を申し上げたい。

    ※出展:「ハイパープレイステーション2」2003年6月号
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